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TAKURO & his BIG GROUP with SEO again 〜This precious story - この貴重なる物語〜
-Aug.25,2004 神奈川県民ホール

ハイテンションでMCも饒舌だった。

8月3日の中野サンプラザからの変更点。
@MCの時の照明が、正面からの白色ピンスポから天井からの暖色系の照明に変更。光量はかなり落ちた。
A公演時間3時間、全編立ちっぱなしで歌ったが、スタンドマイクの横には椅子と椅子用の短いマイクもセット。
B「結婚しようよ」「朝陽がサン」「英雄」が無くなり、他に曲順が多少変更されている。「夏休み(inst)」のインターバルにより、より締まった構成になった感じ。

MCは記憶をたどって書いてるので、順序間違ってるかも。ただし、大筋には自信アリ!?


00.清流
 →18:55、拓郎本人による場内アナウンスの直後、「清流」。中盤でミュージシャン登場
00.人間なんて(inst)

01.あヽ青春 (write松本隆/song吉田拓郎.1975)
02.マークU (write&song吉田拓郎.1971)
03.僕の人生の今は何章目ぐらいだろう (write&songトータス松本.1998)

MC 〜(エンジ色長袖の衣装。広島から友人とロックバンドを作るために"トヨペット・コロナ"の後部座席に乗って上京してきた場面。まず六本木へ寄った話。「1970年、・・・」というコトバで始まる。)「今日は、これまでの(フォークと言われてきたことに関する)怨みつらみをじっくりお話していきます・・・」

04.どうしてこんなに悲しいんだろう (write&song吉田拓郎.1971)
05.おやじの唄 (write&song吉田拓郎.1972)

MC 〜「尊敬できる先輩なんて一人もいなかった。かまやつさんはとてもいい人なんだけど、リスペクトとか、そういう対象じゃない。」

06.唇をかみしめて (write&song吉田拓郎.1982)
07.サマータイムブルースが聴こえる (write松本隆/song吉田拓郎.1982)
08.落陽 (write岡本おさみ/song吉田拓郎.1973)
→1階席中央前方を除いて総立ち。最前列が思い切って立ってくれなきゃ・・

MC 〜「僕は郷ひろみとデビューが同じ年。ただ、彼らが18とかで僕が23だったっていう・・・。本当は、沢田研二のようなスタンスを目指してたのに、『♪喫茶店に彼女と二人で入って コーヒーを注文すること あヽそれが青春〜』(青春の詩を弾き語り)なんて唄いながら、エレックに社員として入っちゃって、自分で自分のレコードを店に売り込みにいったりして。あれは辛かったな。どうして初めからソニーが目をつけてくれなかったんだろう(笑)」

「テレビの仕事があったんだけど、出てみたら小学生くらいの子供が審査員をやってる音楽番組。『♪これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか〜』(弾き語り)って、イメージの詩を歌うんだけど、子どもに意味がよく分からないと言われた。でも、自分でもその通りだと思った。子供の言う通り。自分でもよく分からないんだ。この詩は駄目だナと思ったね。 で、その後また出演依頼。嫌だったんだけど、仕方なく出たら今度は大人が審査員の音楽番組で、今度は大人に駄目出しされた。それが藤山一郎さんだったんだよね。当時は藤山さんがNHKの音楽を仕切ってたんだ。でもさ、NHKっていまだにオーディションやってるんだよ。今でもだよ!オーディションを通過しないと、どんな歌手でも出演出来ないんだ。オーディション通過したらいい曲(歌手)だと限らないよねぇ。アホらしいよねぇ」

09.君のスピードで (write&song吉田拓郎.1995)
10.恋唄 (write&song吉田拓郎.1978)

MC 〜「コンサートツアーというのを国内で初めて1972年頃に始めた。それまでは地方の興行に行くっていうのはあったんだけど、それこそ『黒い背広の、まさに"興行"主』みたいなのが出てきて怖かったし、機材も会場ごとにバラバラでやり辛かった。その後、外国でコンサートツアーというスタイルを目にして、日本でもこれをやればいいんだな!と思った。それで、東京でサウンドからステージからPAから舞台演出から全てを作りあげて、それをそのまま持って全国を回るというスタイルを作り上げたんだ」

「後は、主催者が必要だと言うことでそれまでは労音とか、"興行主"とか、地方の鑑賞団体とかがあったんだけど、公演後主催者のオッサンがやってきて『今日はお疲れさん』とか言われたんだけど、そーじゃないんだな〜と思った。結局、若者が集まって自分達のイベントを開催するというスタイルが全国で起こって、それが今の(FLIP SIDEとかの)イベンターに繋がってるんだ」

「1973年、金沢で"ある事件"があって、あれはまぎれもない冤罪だったんだけど、この前芸能の梨元ってのに、当時の吉田拓郎はメディアからどう見られてたか聞いたんだけど、『拓郎さんはかなりメディアに嫌われてましたからねぇ』と言ってた。実際、当時のメディアからは『吉田拓郎が潰される』というのを身をもって感じた。テレビでは放送禁止、店では発売禁止。でも、ラジオでは本音で話せたし、あの事件の後も、ラジオは暖かく迎えてくれた。コンサート会場に行けば、お客さんはちゃんと聞きに来てくれたし、(テレビに出ないという)自分の信念を通してよかったんだなと、その時はつくづく感じた」

11.家へ帰ろう (write&song吉田拓郎.2002)
→後半、まるで怒鳴ってるかのような気合のシャウト
12.夏休み(inst)
→拓郎のみバックステージへ。ステージ後方のスクリーンに歌詞が表示される。
13.全部だきしめて (write康珍化/song吉田拓郎.1997)
→拓郎、黄色のTシャツに着替えて再登場

MC 〜「この前、山梨(公演)をキャンセルしてしまって・・。ぶどうを食べながら山梨に詫びを入れてたんだけど・・。そういえば昔からドタキャンばかりしてたなぁ。今回の神奈川は、車で30分位で来ちゃう場所なのに前日に前乗りしてしまって。やっぱりツアーだから旅がしたいじゃない。昨夜は夜景がきれいだったな。元神奈川県民なのでこの辺りは良く知ってるんだけど、以前7年間逗子に住んでて。今、家は貸してて外国人が住んでるんだけど、なんか嫌な感じだねぇ」

〜(メンバー紹介) 「北海道へ行って、その次は青森なんだけど・・。去年はジャニーズ顔負けの1日2公演をやったんだけど、その時はほとんど大都市ばかりで。今年はもっと田舎を回りたいということで、ホントは行きたくないんだけど・・・」
「君達、今日ここで聞いたことは、一切口外禁止ね!!」

14.人間の「い」 (write&song吉田拓郎.2003)

MC 〜(メンバー紹介:コーラス、バンマス瀬尾一三)「この前の中野サンプラザの時みたいに、『あぁ〜貧血ですぅ〜』って倒れるのはカッコ悪すぎ。ああいうのはもう嫌だ。どうせなら、歌いながら『バタッ!』とステージで死にたいな」
「来年もその後も、ずっとツアーをやりたい」

15.流星 (write&song吉田拓郎.1979)
16.いつか夜の雨が (write岡本おさみ/song吉田拓郎.1980)

MC 〜「鹿児島に生まれて広島で育って、でも女系家族で、それが嫌で東京に出てきて。ずっと母から父親の悪口みたいなのを聞かされてきて、それで『オヤジの唄』なんて歌まで作ったりしちゃったんだけど、実はそれまで母親の話しか聞いてなくて、父親の言い分は全然聞いてないまま死んじゃったんだよね。だからかなり母にウソを吹き込まれたんだと思う。次にリリースする新曲は『おふくろはウソつき』でいかないと・・」
「これまでの人生、色々と大変なことも嫌なこともあったけどさ!でも楽しかったじゃない!ネ!!」
「来年もツアー、やります!来年、またお会い出来ると思います・・・」

17.旧友再会フォーエバーヤング (write&song吉田拓郎.1984)
18.遥かなる (write石原信一/song吉田拓郎.1996)
19.まにあうかもしれない (write&song吉田拓郎.1972)
20.今日までそして明日から (write&song吉田拓郎.1971)

〜(2分程、アンコール前のインターバル。拓郎白いTシャツに着替える。LIVE'98っぽい)
アンコール
21.人生を語らず (write&song吉田拓郎.1974)
→客席も大合唱ですごい迫力だ!後奏、拓郎独特の四股を踏むようなポーズ
22.純情 (write阿久悠/song加藤和彦.1993)
→「♪まだ足りない」を昨年よりも短く切って歌っている。
23.旧友再会フォーエバーヤングagain (write&song吉田拓郎.1984)
終演ほぼ午後10時。